Kさん

東京で派遣社員として事務職や販売職、コールセンターなど多様な職を経験する。東日本大震災をきっかけに、地元関西へ戻り2012年大豊化学工業株式会社へ入社。経理職から生産管理部へ異動し、現在は管理本部長・執行役員を務める。一児の母。

地元で再出発、転職活動の軸はボーナス3ケ月以上

もともと、東京で派遣社員として働いていましたが、将来のことを考えて正社員になるか、地元に戻るか迷っていました。思い悩んでいた時期に東日本大震災が発生し、自分の両親や兄弟、友達の近くにいたいという思いが強まり、地元に戻ることを決めました。
戻ってからの転職活動では30社ほど応募しましたが、震災の影響もあって再就職はかなり厳しかったです。また、これまで派遣で職を転々としていたこともあり、資格を何も持っていなく会社へアピールできる材料がありませんでした。そこで職業訓練校に通って簿記2級を取得し、事務や経理職を目指しました。ボーナスが3ケ月以上出る会社がいいなと思い(笑)。いろんな求人を見て、条件に当てはまるのが大豊化学株式会社でした。仕事内容も買掛金管理と売掛金管理で「私にもできそう」と思い、応募を決め2012年入社しました。

経理職から生産管理へ転身し、女性の新たなキャリアを切り開く

入社3年間は経理職として仕事をしていましたが、「生産管理の仕事をしてもらえないか」と声がかかり部署を異動することになりました。部署異動後は、材料の購買や調達を担当することになりましたが、分からないことだらけで、飛びかってる言葉がフランス語みたいに聞こえ、文書を見ても暗号にしか見えない感じでしたね(笑)。でも、そんな状況の中で工場や仕入れ先の方々に一から仕事を教えてもらって、今があります。生産管理部の仕事は商社さんとのやり取りが多く、コミュニケーション能力が求められますが、私は派遣で様々な職種を経験し、中でもコールセンターの経験はすごく活かされたと感じます。

産休と育休を経て、管理本部長・執行役員の職へ

今年から当社は組織体制を再編し、それに伴って私は管理本部長・執行役員の職に就きました。数年前から「力を貸してほしい」とのお話がありましたが、その間に私は妊娠し、産休と育休取得のため一時期仕事から離れることになりました。昨年の10月まで育休を取得し、ありがたいことに復職後も役員職のオファーが続いたこともあり、引き受けることを決意しました。
産休に入る前から同僚にすごく助けられていたので、復職するにあたっての不安はあまりなかったです。ただ、復帰当初は子供が保育所に入れなくて一時保育を利用していたこともあり、出社も週一・二回しかできなくて、私の事を手伝ってくれる方々にご迷惑をおかけしたり、仕事の繋がりがつかみにくかったりすることは正直ありました。でも、職場にすごく恵まれていて「何かあったら言ってきてね。私がやりますから。」と皆さんが手を挙げて下さるので、助け合いのできる職場は本当にありがたいです。

進化を求めて、社員に還元される会社を目指す

入社した当時は、まさか自分が本部長になって執行役員になるとは思ってもみなかったです。自分でも不思議な感覚があります。当社は年功序列や入社した順ではなく、どれだけ頑張っているのかを見て評価しています。自分たちで「もっと会社を良くしたい」と思うことは、自分で自分の居場所を良くすることでもあると思っています。現在、採用人事も担当していて、新しく入社する方も同じように思ってくれると、人も会社も成長すると考えています。私の目標は社員の皆が頑張った分だけ、皆にちゃんとお給料として還元される会社をつくることです。現在も皆で力を合わせて頑張っている途中で、これからも会社を良くする、変えていくための道を進んでいきたいです。